東京地方裁判所 平成8年(ワ)18399号 判決 2000年1月31日
原告
漆畑浩之
被告
長谷川晃一
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、各自二九六三万九七八一円及びこれに対する平成元年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一事案の概要
本件は、原告が、自転車に乗って走行中に、被告長谷川の運転する原動機付自転車と衝突し、左肩打撲及び頸部挫傷などの傷害を被り、一九回にわたる手術を余儀なくされ、左上腕神経叢麻痺及び左上肢カウザルギーの後遺障害が残ったと主張し、被告長谷川及び右原動機付自転車の保有者である被告笹沼に対して、不法行為に基づき、その賠償を求める事案である。
そして、主な争点は、以下の三点である。
(一) 原告の後遺障害の内容と程度
(二) 治療期間の長期化及び症状の悪化などに対する原告の心因的要因の寄与を理由とする損害の減額の許否
(三) 事故の発生に対する過失相殺の割合
第二当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自九二七一万四八七一円及びこれに対する平成元年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の被告らに対する本件各請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第三当事者の主張
一 請求原因
1 本件事故の発生
(一) 事故発生の日時 平成元年六月三〇日午前七時四〇分ころ
(二) 事故発生の場所 東京都足立区六木一―四先の道路上(以下「本件事故現場」という。)
(三) 加害車両 被告笹沼俊博(以下「被告笹沼」という。)が保有し、被告長谷川晃一(以下「被告長谷川」という。)が運転する原動機付自転車(以下「被告車」という。)
(四) 被害車両 原告が運転する自転車(以下「原告自転車」という。)
(五) 事故の態様 原告は、本件事故現場付近の車道内の右端の側溝部分を、原告自転車に乗って走行していた。被告長谷川は、前記日時ころ、被告車を運転して、原告の進路前方の交差点(以下「本件交差点」という。)の右方から、本件交差点に進入して左折し、同所から約八メートル進行して、本件事故現場にさしかかった。被告長谷川は、本件交差点の手前に一時停止の標識があり、かつ、進入先の道路が幅員の広い道路であったから、本件交差点の手前で一時停止し、かつ、左方を注視し、進路の安全を確認して走行すべき注意義務があったのに、これを怠り、左方を注視せず、ブレーキもかけずに、漫然と左折走行した過失により、被告車の前輪が原告自転車の前輪に衝突する事故が発生した(以下「本件事故」という。)。そして、原告は、衝突の瞬間に、左肩をハンドル前部のカゴに打ち付け、左に倒れそうになる原告自転車を必死で支えたため、左肩が強く引っ張られてねじれ、左膝も道路に打ち付けて、首をひねった。
2 被告らの責任
(一) 被告長谷川は、前記過失により本件事故を惹起したから、民法七〇九条に基づき、原告が被った後記の損害を賠償する責任がある。
(二) 被告笹沼は、被告車の保有者であるから、自賠法三条に基づき、原告が被った後記の損害を賠償する責任がある。
3 原告の受傷及び治療経過等
(一) 受傷
原告は、本件事故により、左肩、左肘、左手、右左打撲、頸部挫傷などの傷害を受けた。
(二) 治療経過
原告は、前記受傷のため、次のとおりの入通院治療をした。
(1) 東和病院
〔入通院経過〕
平成元年六月三〇日に緊急搬入
(2) 下谷病院
〔入通院経過〕
ア 平成元年七月一日に通院
イ 平成元年七月三日から同年八月二八日まで五六日間入院
ウ 平成元年八月三一日から同年九月一二日まで通院(うち実治療日数六日)
(3) 東京女子医大附属第二病院
〔入通院経過〕
平成元年九月一四日に通院
(4) 上三川病院
〔入通院経過〕
平成元年九月一八日から同年一一月四日まで五七日間入院
(5) 東京女子医大附属第二病院
〔入通院経過〕
ア 平成元年一一月一〇日から同二年一月二二日まで通院(うち実治療日数三四日)
イ 平成二年一月二三日から同年六月八日まで一五一日間入院
ウ 平成二年六月九日から同年七月一八日まで通院(うち実治療日数二七日)
エ 平成二年七月一九日から同年八月三一日まで四三日間入院
オ 平成二年九月一二日から同年一〇月六日まで通院(うち実治療日数一〇日)
〔手術内容〕
<1> 平成二年二月一六日……左肩関節形成術(二頭筋修復術。以下、手術内容については、<1>、<2>、<3>などの通し番号によって表示し、<1>の手術を「第一手術」などという。)
(6) 大塚病院
〔入通院経過〕
ア 平成二年一一月二六日から同年一二月二一日まで通院(うち実治療日数六日)
イ 平成三年一月七日から同年五月二一日まで一三四日間入院
〔手術内容〕
<2> 平成三年一月九日……左肩関節形成術(スクリユー抜去術)
<3> 平成三年三月六日……左肩関節形成術(前方肩峰形成術)
(7) 塩原温泉病院
〔入通院経過〕
平成三年五月二一日から同月二三日まで三日間入院
(8) 大塚病院
〔入通院経過〕
ア 平成三年五月二四日から同年五月三〇日まで通院(うち実治療日数二日)
イ 平成三年六月一一日から同年九月五日まで八七日間入院
ウ 平成三年九月七日に通院
〔手術内容〕
<4> 平成三年七月一二日……左肩カテーテル(キユーブ留置術)
(9) 慶友整形外科病院
〔入通院経過〕
平成三年九月五日から同年九月一七日まで一一日間入院
(10) 慶応大学病院
〔入通院経過〕
ア 平成三年九月二〇日から同月二六日まで通院(うち実治療日数三日)
イ 平成三年一〇月二日から同月三〇日まで二九日間入院
〔手術内容〕
<5> 平成三年一〇月一六日……左肩筋皮神経剥離術(腋窩神経麻痺、筋皮神経剥離術)
(11) 信原病院
〔入通院経過〕
ア 平成三年一一月七日から同月二一日まで通院(うち実治療日数二日)
イ 平成三年一二月一〇日から同月二一日まで二二日間入院
(12) 大塚病院
〔入通院経過〕
ア 平成三年一〇月二四日から同四年一月一七日まで通院(うち実治療日数一六日)
イ 平成四年一月二三日から同年二月一九日まで二八日間入院
(13) 信原病院
〔入通院経過〕
ア 平成四年六月八日に通院
イ 平成四年六月三〇日から同年七月二九日まで三〇日間入院
〔手術内容〕
<6> 平成四年七月二日……左肩関節形成術(観血的手術)
(14) 大塚病院
〔入通院経過〕
ア 平成四年二月二五日から同四年六月一六日まで通院(うち実治療日数一七日)
イ 平成四年七月三〇日から同年八月二八日まで通院(うち実治療日数六日)
ウ 平成四年八月二九日から同年一〇月四日まで三七日間入院
エ 平成四年一〇月六日に通院
オ 平成四年一〇月一二日から同年一一月二二日まで四二日間入院
カ 平成五年二月一六日から同年三月五日まで通院(うち実治療日数三日)
キ 平成五年三月一〇日から同月二八日まで一八日間入院
ク 平成五年三月三〇日から同年六月二二日まで通院(うち実治療日数七日)
〔手術内容〕
<7> 平成四年一〇月一四日……左肩仮固定術
<8> 平成四年一一月二日……左肩固定抜去術
(15) 国立東京第二病院
〔入通院経過〕
平成五年七月九日から同年一二月九日まで通院(うち実治療日数一三日)
(16) 大久保病院
〔入通院経過〕
ア 平成五年一〇月二八日から同年一二月二〇日まで通院(うち実治療日数七日)
イ 平成五年一二月二一日から同六年一月二四日まで三五日間入院
ウ 平成六年一月二七日から同月二八日まで通院(うち実治療日数二日)
(17) 慶応大学月ケ瀬リハビリセンター
〔入通院経過〕
平成六年二月七日から同年四月一八日まで五六日間入院
(18) 大久保病院
〔入通院経過〕
ア 平成六年三月一四日から同年四月一一日まで通院(うち実治療日数三日)
イ 平成六年四月一八日から同年一一月二六日まで二二三日間入院
ウ 平成六年一二月一日に通院
エ 平成六年一二月五日から同月二九日まで通院(うち実治療日数二五日)
オ 平成七年一月四日から同年二月二〇日まで通院(うち実治療日数四日)
カ 平成七年二月二三日から同年五月三日まで七〇日間入院
キ 平成七年五月八日から同月二五日まで一八日間入院
ク 平成七年六月八日から同年七月一八日まで通院(うち実治療日数一〇日)
ケ 平成七年七月二五日から同年八月二六日まで三二日間入院
コ 平成七年八月二八日から同年一〇月一二日まで通院(うち実治療日数九日)
サ 平成七年一〇月一六日から同年一二月二六日まで七一日間入院
シ 平成八年一月四日から同年四月一五日まで通院(うち実治療日数一〇日)
ス 平成八年四月二二日から同年八月三日まで一〇四日間入院
〔手術内容〕
<9> 平成六年四月二〇日……左肩仮固定術
<10> 平成六年六月三日……腱移行術(左手首機能再腱術)
<11> 平成六年七月八日……左肩仮固定術
<12> 平成六年八月一二日……腱移行術(親指機能再腱術)
<13> 平成六年一〇月七日……左肩固定術
<14> 平成七年三月三日……右肩臼蓋形成術
<15> 平成七年五月一二日……右肩関節形成術
<16> 平成七年一〇月一七日……左三角筋移行術(肘機能再腱術)
<17> 平成八年四月二四日……左三角筋切除術
<18> 平成八年四月二七日……左三角筋切除術
<19> 平成八年六月五日……円回内筋縫縮術
(三) 後遺障害
原告は、本件事故による受傷のため、左肩から肘や手にかけての激痛に苦しみ、前記のとおり一九回にわたる手術を受けた。しかし、左肩、肘、手首がほとんど動かないし、左上肢障害のために体幹のバランスが悪く歩行にも困難を来している状況にあり、左上腕神経叢麻痺及び左上肢カウザルギーの後遺障害が残った。右の後遺障害は、自賠法施行令二条別表の後遺障害別等級表の五級六号の「一上肢の用を全廃したもの」に該当する。なお、右の後遺障害は、平成八年八月一二日に、その症状が固定した。
4 損害
(一) 治療費 三八三万六一一五円
(二) 薬代 四九〇〇円
(三) 付添看護費 二二万八〇〇〇円
一日当たり六〇〇〇円の割合による、手術の各当日とその翌日の合計一九日分の両親の付添看護費である。
(計算式)
19×2×6,000=228,000
(四) 入院雑費 一七九万六六〇〇円
一日当たり一三〇〇円の割合による、入院日数合計一三八二日についての入院雑費である。
(計算式)
1,300×1,382=1,796,600
(五) 文書料 三万一六六〇円
(六) 入通院交通費 四八万三四四〇円
(七) 休業損害 一八九三万八一六二円
原告は、本件事故発生当時、電気工事職工として日当一万円の収入の外に、白ナンバー運送業により月額約四〇万円の収入を得ていたが、右の収入に関する明確な資料がないので、基礎収入は、昭和六三年の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者の二〇歳ないし二四歳の平均賃金である年収二六六万一一〇〇円とする。そして、原告は、本件事故発生の日である平成元年六月三〇日から症状固定日である同八年八月一二日までの八五・四箇月間、休業を余儀なくされた。そのため、次のとおり、一八九三万八一六二円の休業損害を被った。
(計算式)
2,661,100÷12×85.4=18,938,162
(八) 逸失利益 六七七七万八二八七円
原告(昭和四〇年九月三〇日生)は、前記後遺障害のため、三〇歳(症状固定時である平成八年八月一二日当時の原告の年齢)から六七歳までの三七年間(ライプニッツ係数は一六・七一一二)、その労働能力を七九パーセント喪失した。
そこで、基礎収入を、平成六年の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者の三〇歳ないし三四歳の平均賃金である年収五一三万四〇〇〇円として、原告の逸失利益の右症状固定時における現価を、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり六七七七万八二八七円となる。
(計算式)
5,134,000×0.79×16.7112=67,778,287
(九) 慰謝料 一八〇〇万円
本件事故に基づく受傷によって原告が被った肉体的、精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、入通院分を五〇〇万円、後遺障害分を一三〇〇万円、合計一八〇〇万円とするのが相当である。
(一〇) 右(一)ないし(九)の合計 一億一一〇九万七一六四円
(一一) 損害のてん補 二六三八万二二九三円
(一二) 小計 八四七一万四八七一円
(一三) 弁護士費用 八〇〇万円
(一四) 右(一二)及び(一三)の合計 九二七一万四八七一円
5 要約
よって、原告は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、各自九二七一万四八七一円及びこれに対する本件事故の発生日である平成元年六月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1(一) 請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は、認める。
(二)(1) 同1(五)のうち、原告運転の原告自転車と被告長谷川運転の被告車とが衝突したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(2) 被告長谷川は、左折のウインカーを出し、一時停止の標識に従って停止線で一旦停止した後、安全を確認して本件交差点を左折進行し始めて左折が終わらないうちに、原告自転車が被告車の進行方向の左側の道路端の駐車車両の陰から高速度で逆走行して来るのを発見したため、減速してほとんど停止状態となったところに、原告自転車が被告車に衝突してきた。なお、衝突によって、双方の車両に損害はなく、原告自転車が転倒することもなかった。
2(一) 同2(一)の事実は否認し、主張は争う。
(二) 同2(二)の主張は争う。
3(一) 同3の(一)及び(二)の各事実は、知らない。
(二) 同3(三)のうち、原告の後遺障害が自賠法施行令二条別表の後遺障害別等級表の五級六号に該当することは否認し、その余の事実は知らない。
4(一) 同4の(一)ないし(七)、(九)及び(一三)の各事実は、知らない。
(二) 同4(八)のうち、原告が後遺障害のため症状固定時(三〇歳)から六七歳までの三七年間にわたり労働能力を七九パーセント喪失したことは否認し、その余の事実は知らない。
(三) 同4(一一)の事実は、認める。
三 被告らの抗弁
1 心因的要因による減額(素因減額)
(一) 本件事故は、原告自転車と被告車との軽微な衝突事故にすぎないし、原告が本件事故によって被った傷害も、当初は、頸椎捻挫、頸神経根損傷、左肩鎖関節亜脱臼、左肩関節捻挫、左膝関節打撲などであって、重篤なものではなく、他覚的所見にも乏しく、安静と理学療法により回復できる程度のものであった。
(二) ところが、原告は、本件事故日である平成元年六月三〇日以降、一三箇所の病院等において一九回にも及ぶ手術を繰り返したが、症状がかえって悪化する結果となっている。
(三) 右のような結果となった原因は、以下の諸点などから明らかなとおり、原告が左上肢のみならず全身にわたる疼痛等の症状を医療関係者に対し誇大に訴えたため必要性の疑わしい手術が繰り返されたこと、及び、リハビリに対する原告の意欲の欠如に基づくものであって、原告の心因的要因が損害の拡大に影響を及ぼしているものというべきである。
(1) 大塚病院において、「絞厄症候群、胸郭出口症候群」との診断がされているが、右症状は、本件事故による外傷とは無関係である。
(2) 慶応大学病院の精神科の大野医師は、平成三年一〇月二五日、原告を診断して、「性格的には、反抗的、懐疑的であり、現在までの医療不信が背景にあり、身体的愁訴には精神的要因が関与している。長期的なリハビリを希望しているので、リハビリを無理に押し付けずに、徐々にやらせたほうがよい。」旨の診療録を作成している(乙第四二号証の一七、一八参照)。
(3) 原告は、平成四年九月一四日、大塚病院を退院して帰宅途中の電車の中で、腰痛と左下肢のしびれが出現して起立困難となったが、右の症状は、本件事故による傷害を原因とするものではなく、精神的要因に基づくものである(乙第二六号証の二一参照)。
(4) 原告は、平成五年三月一〇日、電車の中で、突然、首や腰に疼痛やしびれが出現し、歩行困難になるという発作を起こして大塚病院に入院したが、右の発作は、本件事故による傷害を原因とするものではなく、精神的要因に基づくものである(乙第一六号証の八参照)。
(5) 大塚病院の看護婦は、平成五年三月一八日ころ、入院中の原告の言動を観察し、「疼痛がそれほど強いとは思われなかった。自立心がなく、病気に依存しているため、精神的なフォローが必要である。看護婦や他人の前で見せる行動と目の届かないところでの言動の違いなどが見られるから詳細な観察が必要である。」旨の看護記録を作成している(乙第一六号証の八参照)。
(6) 慶応大学月ケ瀬リハビリセンターにおいて、平成六年二月七日に「左上肢カウザルギー」との診断がされ、原告は強い疼痛を訴えているが、他覚的所見に乏しい上、右の傷病に効果があるとされる星状神経ブロックの施行の効果もなかった(乙第四五号証の四ないし六参照)。
(7) 慶応大学月ケ瀬リハビリセンターの看護婦は、平成六年三月八日、「原告は、リハビリによる患肢の機能回復や社会復帰に対し、極めて不熱心である。受傷後五年も経過しているのに、仕事にもつかず、リハビリのためといって、あちこちの病院を渡り歩いている。患部を使おうという姿勢が見られない。社会復帰を真剣に考えているのか分からない。」旨の看護記録を作成している(乙第四五号証の五三、五四参照)。
(8) 大久保病院の高野看護婦は、平成六年一二月三一日ころ、「原告は、痛みの原因疾患がないこと、どの痛み止めを使用しても効果がないことなどに照らし、痛みを訴え続けることで、家庭や社会から逃避していると思われる。今後も同様の状態で入退院を繰り返す可能性がある。社会生活から逃避するための心因的問題と考えられる疼痛がある。」旨の看護記録を作成している(乙第三九号証の四四参照)。
(9) 大久保病院でリハビリを担当していた木原は、平成七年五月二四日ころ、「原告は、心理面での問題が多く、神経症や心身症の疑いもある。」旨の診療録を作成している(乙第三三号証の七二参照)。
(四) また、原告は、以下の諸点から明らかなとおり、日常生活における動作を自立してすることが可能であるし、事務労働をすることも十分に可能である。
(1) 原告は、上三川病院に通院していた平成元年一〇月一六日ころ、日常生活における動作を自立してすることは、特に問題がなかった(乙第六号証の一五参照)。
(2) 原告は、東京女子医大に入通院を繰り返していた平成二年九月三日ころには、ディスコで踊ったり、プールバーでビリヤードをしたりして、遊んでいた(乙第五号証の一の一七参照)。
(3) 原告は、塩原温泉病院に通院していた平成三年五月二一日ころ、日常生活における動作を自立してすることは、特に問題がなかった(乙第二八号証の一四参照)。
(4) 原告は、大塚病院に入通院を繰り返していた平成四年八月ころ、日常生活における動作を自立してすることは、特に問題がなかった(乙第一三号証の一五参照)。
(5) 原告は、大久保病院に入通院を繰り返していた平成六年一二月五日から同七年六月ころ、左手麻痺はあるものの、日常生活における動作を自立してすることは、特に問題がなかった(乙第三九号証の五、第四七号証の三三参照)。
(6) 原告が大久保病院での入通院を繰り返していた平成七年五月二二日ころ、リハビリを担当していた木原は、原告の症状について、「可動域が良く、十分に仕事が出来ると思うので、障害者センターに行くことや、身障二級を申請し直した方が良いと言ったら、本人には不満らしく、リハビリをする気を無くし、逃げる態度ばかりが目についた。原告は、その翌日には、別の病院への入院を予約してしまった。」旨の経過報告書を作成している(乙第三三号証の二二参照)。
(五) 以上のとおり、原告の治療期間が長期となっていること及び原告の症状が悪化していることについては、原告の心因的要因が大きく寄与していることが明らかであるから、損害賠償の額を定めるに当たり、損害の公平な分担という見地から、少なくとも三割の減額をすべきである。
2 過失相殺
本件事故の発生については、十分に安全確認をすることなく、被告車の進行方向左側の駐車車両の陰から被告車の進行方向の道路の左側を高速度で逆走行して来た原告の過失も認められるから、損害賠償の額を定めるに当たっては、少なくとも五割の過失相殺をすべきである。
四 抗弁に対する認否及び主張
1(一) 同1(一)の事実は、否認する。
(二) 同1(二)の事実は、認める。
(三) 同1(三)の各事実は否認し、主張は争う。
(四) 同1(四)の各事実は否認し、主張は争う。
(五) 同1(五)の主張は、争う。
2 抗弁2の事実は否認し、主張は争う。
3 原告の後遺障害について
(一) 原告の機能障害は、反射性交感神経性ジストロフィー、腕神経叢損傷によるマイナーカウザルギーの合併による極めて重篤な器質的障害であり、心因的要因に基づくものではない。すなわち、肩関節腱板不全損傷による疼痛と腕神経叢損傷により、カウザルギーに近い反射性交感神経性ジストロフィーが生じたものである。
(二) そして、上肢の機能は、腕神経叢損傷について腱移行術を行うことにより、多少は手を使える状況となったが、上肢全体からいえば、ほぼ用廃状態にある。また、肩関節の機能は、関節固定がされているので全廃状態にあり、肘関節も、全廃に近い著しい障害を残している。さらに、手関節は、掌側屈曲は何とか可能であるが、背側屈曲はほとんどできず、著しい障害を残しているし、握力も著しく減少している。
(三) したがって、原告の後遺障害は、全体として、一上肢の機能を全廃したものとして、自賠法施行令二条別表の後遺障害別等級表の五級六号に該当するものである。
第四証拠
本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 本件事故の発生について
1 事故発生の日時、場所及び関係車両(請求原因1の(一)ないし(四))について
請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は、当事者間に争いがない。
2 事故の態様(請求原因1(五))について
(一) 請求原因1(五)のうち、原告運転の原告自転車と被告長谷川運転の被告車とが衝突したことは、当事者間に争いがない。
(二) 右1及び2(一)の争いのない各事実に、証拠(甲第一号証、第一五号証、第一七号証、第一八号証の一ないし四、乙第一、第二号証、第七、第八号証、原告本人〔第一、二回〕、被告長谷川本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。
(1) 原告は、片側一車線(幅員約五メートル)でセンターラインの表示のある合計二車線の道路(以下「本件道路」という。合計幅員は、約一〇メートル)のうち、自己の走行方向と反対の対向車線の車道内の右端の側溝部分を原告自転車に乗って逆走行して来て、本件事故現場付近にさしかかった。なお、本件道路の両脇には、いずれも幅員約二メートルの歩道があったから、原告は、右歩道上を走行することも可能であった。
(2) 被告長谷川は、被告車を運転して、原告の進路前方の本件交差点の右方の交差道路(幅員約四メートル)から、本件交差点にさしかかり、本件交差点の手前に一時停止の標識があったので、左折のウインカーを出し、一時停止の標識に従って停止線で一旦停止した後、本件交差点に進入し、左折を開始した。
(3) ところが、原告自転車の進行方向の前方で、被告長谷川の左折後の進行車線の左側の本件道路端には、本件交差点の直近に二台の駐車車両があった。
(4) 原告は、駐車車両の陰から本件道路中央寄りに出て、被告長谷川の走行車線の中央付近を逆走行して来たところ、被告車を発見するのが遅れ、本件交差点から約八メートルの地点の本件事故現場で、被告車の前輪と原告自転車の前輪が正面衝突する本件事故を発生させた。
(5) また、被告長谷川は、本件交差点を左折し終わったころ、自己の走行車線の中央付近を原告自転車が逆走行して来るのを発見し、ブレーキをかけたが、原告自転車を発見するのが遅れ、本件交差点から約八メートル進行した地点の本件事故現場で、本件事故を発生させた。
(6) 原告は、衝突した瞬間に、左肩を原告自転車のハンドル前部のカゴに強く打ち付け、左側に倒れそうになる原告自転車を左手でハンドルを握って支えようとしたために左腕をねじった上、左膝を路面に打ち付け、首もひねってしまった。
(7) なお、右の衝突の衝撃は強くはなかったため、原告自転車も被告車も転倒せず、双方の車両が損傷を受けることもなかった。
(8) そこで、被告長谷川は、原告が衝突により負傷したため、原告と共に歩いて、近所の診療所に行った。
(三) なお、本件事故の態様(特に、衝突の場所が、被告長谷川の左折後の走行車線の中央付近か、右走行車線の左端の歩道寄りか)と本件事故現場の状況(被告長谷川の左折後の進行車線の左側の道路端には、本件交差点の直近に二台の駐車車両があったか否か)に関する主要な証拠としては、佐久間栄子が平成九年二月二八日ころ作成した陳述書(衝突の場所は被告長谷川の左折後の走行車線の左端の歩道寄りであり、右の二台の駐車車両はなかったという内容の陳述書。甲第一五号証)と、原告が同年四月三〇日ころ作成した陳述書(その内容は佐久間栄子作成の陳述書と同様。甲第一七号証)、及び、被告長谷川が本件事故発生当日である同元年六月三〇日の夕方ころ作成した本件事故現場の状況図(衝突の場所は被告長谷川の左折後の走行車線の中央付近であり、右の走行車線の左側の道路端には、本件交差点の直近に二台の駐車車両があったという内容の図面。乙第一号証)と被告長谷川が同九年五月二日ころ作成した陳述書(その内容は右の本件事故現場の状況図と同様。乙第七号証)とがある。
ところで、右の本件事故現場の状況図と被告長谷川の陳述書は、その状況図が本件事故の発生当日に作成されていること、及び、その各内容が具体的かつ詳細であることなどに照らし、本件事故の態様と本件事故現場の状況をほぼ正確に記載したものと認められる。これに対し、佐久間栄子作成の陳述書と原告作成の陳述書は、いずれも本件事故発生日である平成元年六月三〇日から約七年半後で、本訴が提起された同八年九月二〇日から約五箇月ないし七箇月後に作成されたものであり、かつ、その内容も具体性及び詳細さに欠けるものである。
以上の諸点に照らせば、本件事故の態様と本件事故現場の状況については、前記の本件事故現場の状況図と被告長谷川の陳述書は、大筋においてこれを採用することができるが、佐久間栄子作成の陳述書と原告作成の陳述書は、これを採用することができない。
(四) 以上に認定の各事実によれば、(1)原告は、本件道路のうち自己の走行方向の左側の車線内を走行し、かつ、前方を注視し進路の安全を確認して走行すべき注意義務があるのに、これを怠り、自己の走行方向の対向車線の右端の側溝部分を原告自転車に乗って走行し、かつ、前方を確認しないまま漫然と走行した過失により、折から進路前方の本件交差点を左折してきた被告車を直近に至って発見した過失により、本件事故を惹起したものというべきであるが、(2)他方、被告長谷川にも、前方を注視し進路の安全を確認して走行すべき注意義務があるのに、これを怠り、前方を十分に確認しないまま漫然と走行した過失により、原告自転車を直近に至って発見した過失により、本件事故を惹起したものというべきである。
二 被告らの責任について
1 被告長谷川は、前記過失により本件事故を惹起したから、民法七〇九条に基づき、原告が被った後記の損害を賠償する責任がある。
2 被告笹沼は被告車の保有者であるから、自賠法三条に基づき、原告が被った後記の損害を賠償する責任がある。
三 原告の受傷及び治療経過等について
1 原告の受傷(請求原因3(一))について
証拠(甲第二、第三号証、乙第三号証の二)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因3(一)の事実(原告の受傷)が認められる。
2 原告の治療経過(請求原因3(二))について
証拠(甲第二ないし第一二号証、第一四号証、第二二号証、第二六号証、第三七ないし第四一号証、乙第三ないし第六号証、第九ないし第二六号証、第二八ないし第四八号証〔以上に掲記した書証は、いずれもその枝番を含む。〕、原告本人〔第二回〕)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因3(二)の事実(原告の治療経過。なお、原告の入通院経過と手術の経過の詳細は、別紙「原告の入通院及び手術状況一覧表」に記載のとおりである。また、入院日数については、原告の主張の一部に誤りがあり、右一覧表に記載した日数が正しい。)が認められる。
3 後遺障害(請求原因3(三))について
証拠(甲第二ないし第一四号証、第一九号証、第二五号証、第二七ないし三二号証、第三五、第三六号証、乙第二七号証、第四九号証〔以上に掲記した書証は、いずれもその枝番を含む。〕、原告本人〔第二回〕)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因3(三)のうち、原告が、本件事故による受傷のため、左肩から肘や手にかけての激痛に苦しみ、別紙「原告の入通院及び手術状況一覧表」に記載のとおり一九回にわたる手術を受けたこと、しかし、左肩、肘、手首がほとんど動かないし、左上肢障害のために体幹のバランスが悪く歩行にも困難を来している状況にあること、右のような症状は、肩関節腱板損傷に伴う反射交感神経性ジビストロフィーと腕神経叢損傷に伴うマイナーカウザルギーの合併による器質障害に基づくものであって、肩関節は固定されているため機能が全廃状況にあり、肘関節も機能が全廃状況にあり、手関節は掌側屈曲は何とか可能であるが背側屈曲はほとんど不可能な状況にあり、指関節は母指対立が何とか可能であるが筋力はほとんどなく、環指と小指の機能は何とかあるが握力は著しく減少している状況にあること、そして、右の後遺障害は、平成八年八月一二日にその症状が固定したこと、などが認められる。
四 原告の損害について
1 治療費 三八三万六一一五円
証拠(甲第四二、第四三号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故に基づく治療費として、少なくとも合計三八三万六一一五円を要した事実が認められる。
2 薬代 四九〇〇円
証拠(甲第四四号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故に基づく薬代として、四九〇〇円を要した事実が認められる。
3 付添看護費 二二万八〇〇〇円
証拠(原告本人〔第二回〕)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故に基づく両親の付添看護費として、一日当たり六〇〇〇円の割合による、手術の各当日とその翌日の合計一九日分の二二万八〇〇〇円を要した事実が認められる。
(計算式)
19×2×6,000=228,000
4 入院雑費 一七七万九七〇〇円
前記三2に認定の入通院経過に照らせば、原告は本件事故に基づく入院雑費として、一日当たり一三〇〇円の割合による、入院日数合計一三六九日分の一七七万九七〇〇円を要した事実が認められる。
(計算式)
1,300×1,369=1,779,700
5 文書料 三万一六六〇円
証拠(甲第四五号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故に基づく文書料として、三万一六六〇円を要した事実が認められる。
6 入通院交通費 四八万三四四〇円
証拠(甲第四六ないし第四八号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故に基づく入通院交通費として、四八万三四四〇円を要した事実が認められる。
7 休業損害 一八九四万五五五三円
前記三2に認定の原告の治療経過に、証拠(甲第二五号証、第二八号証、原告本人〔第一、二回〕)及び弁論の全趣旨を併せ考察すれば、原告は、本件事故発生当時、電気工事職工として日当一万円の収入の外に、白ナンバー運送業により月額約四〇万円の収入を得ていたが、右の収入に関する明確な資料がないこと、原告の右の年収は、昭和六三年の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者の二〇歳ないし二四歳の平均賃金である年収二六六万一一〇〇円を下回らないこと、原告は、本件事故発生の日である平成元年六月三〇日から症状固定日である同八年八月一二日までの八五箇月と一三日の間、休業を余儀なくされたことなどが認められる。
そうすると、本件事故発生日から右症状固定日までの期間中の休業損害の額は、次のとおり、一八九三万八一六二円となる。
(計算式)
2,661,100÷12×(85+13÷30)=18,945,553
8 逸失利益 六七七七万八二八七円
前記三3に認定の原告の後遺障害の内容と程度に、証拠(甲第二五号証、第二七ないし三二号証、第三六号証、乙第二七号証、第四九号証〔以上に掲記した書証については、いずれもその枝番を含む。〕、原告本人〔第二回〕)及び弁論の全趣旨を併せ考察すると、原告(昭和四〇年九月三〇日生)は、本件事故により前記三3に認定のような後遺障害のため、三〇歳(症状固定時である平成八年八月一二日当時の原告の年齢)から六七歳までの三七年間(ライプニッツ係数は一六・七一一二)、その労働能力を七九パーセント喪失したものと認めるのが相当である。
そこで、基礎収入を、平成六年の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者の三〇歳ないし三四歳の平均賃金である年収五一三万四〇〇〇円として、原告の逸失利益の右症状固定時における現価を、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり六七七七万八二八七円となる。
(計算式)
5,134,000×0.79×16.7112=67,778,287
9 慰謝料 一八〇〇万円
原告の傷害の部位と程度、治療の経過、後遺障害の部位と程度、その他諸般の事情を総合すると、原告に対する慰謝料の額は、入通院分を五〇〇万円及び後遺障害分を一三〇〇万円、合計一八〇〇万円とするのが相当である。
10 右1ないし9の合計 一億一一〇八万七六五五円
五 心因的要因による減額(抗弁1)について
1 損害の拡大に対する心因的要因の寄与を理由とする減額の可否について
身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害がその加害行為のみによって通常発生する程度、範囲を超えるものであって、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情をしんしゃくすることができるものと解するのが相当である(最高裁昭和五九年(オ)第三三号同六三年四月二一日第一小法廷判決・民集四二巻四号二四三頁参照)。
2 原告の治療経過等について
前記一2(二)と三の2及び3に認定の各事実に、証拠(甲第二ないし第一四号証、第一九号証、第二二号証、第二五ないし第三二号証、第三五ないし第四一号証、乙第三ないし第六号証、第九ないし第四九号証〔以上に掲記した書証は、いずれもその枝番を含む。〕、原告本人〔第二回〕)及び弁論の全趣旨を併せ考察すれば、以下の各事実が明らかである。
(一) 原告は、被告車と衝突した瞬間に、左肩を原告自転車のハンドル前部のカゴに強く打ち付け、左側に倒れそうになる原告自転車を左手でハンドルを握って支えようとしたために左腕をねじった上、左膝を路面に打ち付け、首もひねってしまった。しかし、右の衝突の衝撃は強くはなかったため、原告自転車も被告車も転倒せず、双方の車両が損傷を受けることもなく、原告は、歩いて、近所の診療所に行くことができた。
本件事故は、右のように原告自転車と被告車との比較的軽微な衝突事故にすぎないものであり、原告が本件事故によって被った傷害も、東和病院における本件事故当日である平成元年六月三〇日の診断では、頸椎捻挫、頸神経根損傷、左肩鎖関節亜脱臼、左肩関節捻挫、左膝関節打撲などであって、左第五頸神経領域に知覚鈍麻、左肩関節の外旋、外転及び前挙の障害、肩鎖関節に圧痛などがあり、左第五頸神経に何らかの損傷を示唆する所見が認められるが、左腕神経叢損傷を示唆する他覚的所見には乏しかった。
(二) 原告は、平成元年七月一日、左肩、左肘、左手の激痛のため、下谷病院の診察を受けたところ、左肩橈骨神経麻痺との診断で、同月三日から同病院に入院し、同年八月二八日まで、左肩を安静固定した上で、左肩関節の可動域制限範囲を拡げる目的で、低周波やホットパックなどによる治療を受け、更に同年八月三一日から同年九月一二日まで通院治療を受けたが、左肩関節の拘縮及び左手の拘縮が生じたため、左肩や左手の痛みがとれない状況にあった。
(三) 原告は、平成元年九月一四日、左肩関節の強い痛みを訴えて、東京女子医大附属第二病院の診察を受けたところ、左肩橈骨神経麻痺及び左肩関節拘縮との診断により、上三川病院での治療を指示され、同病院において、同月一八日から同年一一月四日まで、左肩橈骨神経と左肩関節の拘縮の回復を目的としたリハビリ治療を受けた結果、左肩関節や左手関節の可動域も相当に改善され、左上腕及び手指の筋力も相当に回復し、仕事は無理としても、日常生活における動作をする上では特に問題がない状況となった。
また、原告は、上三川病院に通院していた平成元年一〇月一六日ころ、日常生活における動作を自立してすることは、特に問題がなかった(乙第六号証の一五参照)。
(四) ところが、原告は、平成元年一一月一〇日、左肩関節の痛みを訴えて、東京女子医大附属第二病院の診察を受けたところ、左橈骨神経麻痺、左肩関節癒着、左上腕二頭筋長頭腱損傷、左肩関節唇損傷との診断により、同病院において、右同日から同二年一〇月六日まで入通院による治療を受け、同年二月一六日には二頭筋修復のための左肩関節形成術(第一手術)も受けたが、症状は必ずしも改善しなかった。
なお、原告は、東京女子医大に入通院を繰り返していた平成二年九月三日ころには、ディスコで踊ったり、プールバーでビリヤードをしたりして、遊び過ぎて、突然、腕が上がらなくなってしまうような左肩痛や肩から手にかけての痺れを感じて、右病院を受診したことがあった(乙第五号証の一の一七参照)。
(五) 原告は、その後、平成二年一一月二六日から同三年五月二一日まで大塚病院における入通院治療、右同日から同月二三日まで塩原温泉病院における入院治療、同月二四日から同年九月七日まで大塚病院における入通院治療、更に同月五日から同月一七日まで慶友整形外科病院における入院治療を受け、大塚病院においては、左上腕神経叢麻痺、反射性交感神経性筋萎縮症及びカウザルギーなどの診断を受けた。
そして、その間には、平成三年一月九日に左肩関節形成術(スクリュー抜去術。第二手術)、同年三月六日に左肩関節形成術(前方肩峰形成術。第三手術)、同年七月一二日に左肩カテーテル(キューブ留置術。第四手術)を受けたものの、症状は必ずしも改善しなかった。
なお、原告は、塩原温泉病院に通院していた平成三年五月二一日ころ、及び、大塚病院に入通院を繰り返していた平成四年八月ころは、いずれも日常生活における動作を自立してすることについては、特に問題がなかった(乙第一三号証の一五、第二八号証の一四参照)。
(六) そこで、原告は、平成三年九月二〇日、慶応大学病院の診察を受けたところ、左腕神経叢不全麻痺との診断により、同病院において、右同日から同年一〇月三〇日まで入通院による治療を受け、同月一六日には左肩筋皮神経剥離術(腋窩神経麻痺、筋皮神経剥離術。第五手術)も受け、手術後の時点で肘から手にかけての動きは改善したが、左肩の運動痛及び運動制限については改善が見られなかった。
なお、慶応大学病院の精神科の大野医師は、平成三年一〇月二五日、原告を診断して、「性格的には、反抗的、懐疑的であり、現在までの医療不信が背景にあり、身体的愁訴には精神的要因が関与している。長期的なリハビリを希望しているので、リハビリを無理に押し付けずに、徐々にやらせたほうがよい。」旨の診療録を作成している(乙第四二号証の一七、一八参照)。
(七) 原告は、その後、平成三年一一月七日から同年一二月二一日まで信原病院における入通院治療、同年一〇月二四日から同五年六月二二日まで大塚病院における入院治療、同四年六月八日から同年七月二九日まで信原病院における入通院治療を受け、信原病院においては、左腕神経叢麻痺及び左肩関節拘縮との診断を受け、都立大塚病院においては、左肩反射性交感神経ビストロフィーなどの診断を受けた。
そして、その間には、平成四年七月二日に左肩関節形成術(観血的手術。第六手術)、同年一〇月一四日に左肩仮固定術(第七手術)、同年一一月二日に左肩固定抜去術(第八手術)を受けたものの、左肩関節痛及び筋萎縮などの症状は改善しなかった。
なお、原告は、平成四年九月一四日、大塚病院を退院して帰宅途中の電車の中で、腰痛と左下肢のしびれが出現して起立困難となったり、同五年三月一〇日、電車の中で、突然、首や腰に疼痛やしびれが出現し、歩行困難になるという発作を起こして大塚病院に入院したりしたことがあったが、右の症状や発作は、本件事故による傷害を原因とするものであるとしても、精神的要因が強く影響しているものであった可能性が高いと考えられる(乙第一六号証の八、第二六号証の二一参照)。
また、大塚病院の看護婦は、平成五年三月一八日ころ、入院中の原告の言動を観察し、「疼痛がそれほど強いとは思われなかった。自立心がなく、病気に依存しているため、精神的なフォローが必要である。看護婦や他人の前で見せる行動と目の届かないところでの言動の違いなどが見られるから詳細な観察が必要である。」旨の看護記録を作成している(乙第一六号証の八参照)。
(八) 原告は、その後、平成五年七月九日から同年一二月九日まで国立東京第二病院における通院治療、同年一〇月二八日から同六年一月二八日まで大久保病院における入院治療を経て、同年二月七日から同年四月一八日まで慶応大学月ケ瀬リハビリセンターにおける入院治療を受け、慶応大学月ケ瀬リハビリセンターにおいては、左腕神経叢麻痺、左肩腱板断裂、左上肢カウザルギーなどの診断を受けた。
なお、カウザルギーとは、外傷を契機として交感神経の機能異常を招き、局所の循環障害や強い疼痛(灼熱痛。カウザルギー)を訴えるものであるところ、慶応大学月ケ瀬リハビリセンターにおいては、カウザルギーに効果があるものとされている星状神経節ブロックを、原告に対して数十回実施したが、顕著な効果は得られなかった。
また、慶応大学月ケ瀬リハビリセンターの看護婦は、平成六年三月八日、「原告は、リハビリによる患肢の機能回復や社会復帰に対し、極めて不熱心である。受傷後五年も経過しているのに、仕事にもつかず、リハビリのためといって、あちこちの病院を渡り歩いている。患部を使おうという姿勢が見られない。社会復帰を真剣に考えているのか分からない。」旨の看護記録を作成している(乙第四五号証の五三、五四参照)。
(九) 原告は、その後、平成六年三月一四日から同八年八月一二日まで大久保病院における入通院を頻繁に繰り返した。
そして、原告は、右の入通院の間に、平成六年四月二〇日に左肩仮固定術(第九手術)、同年六月三日に腱移行術(左手首機能再腱術。第一〇手術)、同年七月八日に左肩仮固定術(第一一手術)、同年八月一二日に腱移行術(親指機能再腱術。第一二手術)、同年一〇月七日に左肩固定術(第一三手術)、同七年三月三日に右肩臼蓋形成術(第一四手術)、同年五月一二日に右肩関節形成術(第一五手術)、同年一〇月一七日に左三角筋移行術(肘機能再腱術。第一六手術)、同八年四月二四日に左三角筋切除術(第一七手術)、同月二七日に左三角筋切除術(第一八手術)、同年六月五日に円回内筋縫縮術(第一九手術)を受け、同年八月一二日に、前記三3に認定のとおりの内容の後遺障害による症状が固定した。
なお、原告は、大久保病院に入通院を繰り返していた平成六年一二月五日から同七年六月ころ、左手麻痺はあるものの、日常生活における動作を自立してすることは、特に問題がなかった(乙第三九号証の五、第四七号証の三三参照)。
そして、大久保病院の高野看護婦は、平成六年一二月三一日ころ、「原告は、痛みの原因疾患がないこと、どの痛み止めを使用しても効果がないことなどに照らし、痛みを訴え続けることで、家庭や社会から逃避していると思われる。今後も同様の状態で入退院を繰り返す可能性がある。社会生活から逃避するための心因的問題と考えられる疼痛がある。」旨の看護記録を作成している(乙第三九号証の四四参照)。
また、原告が大久保病院での入通院を繰り返していた平成七年五月二二日ころ、リハビリを担当していた木原は、原告の症状について、「可動域が良く、十分に仕事が出来ると思うので、障害者センターに行くことや、身障二級を申請し直した方が良いと言ったら、本人には不満らしく、リハビリをする気を無くし、逃げる態度ばかりが目についた。原告は、その翌日には、別の病院への入院を予約してしまった。」旨の経過報告書を作成している(乙第三三号証の二二参照)。
さらに、大久保病院でリハビリを担当していた木原は、平成七年五月二四日ころ、「原告は、心理面での問題が多く、神経症や心身症の疑いもある。」旨の診療録を作成している(乙第三三号証の七二参照)。
3 心因的要因の寄与の有無と程度について
(一) 右2に認定した事実関係の下においては、原告は、本件事故による受傷とその後の一九回にも及ぶ手術を含む長期間にわたる治療の結果、本件事故の発生から約七年後の平成八年八月一二日に至り、左上腕神経叢麻痺及び左上肢カウザルギーの後遺障害を残してその症状が固定化したものであり、右の一九回の手術を含む症状固定時までの治療及び残存した後遺障害と本件事故との間には相当因果関係があるものと認められ、これを否定するに足りる証拠はない。
(二) しかし、原告は、上三川病院において、左肩橈骨神経と左肩関節の拘縮の回復を目的としたリハビリ治療を受けた結果、平成元年一一月ころには、左肩関節や左手関節の可動域も相当に改善され、一旦は、左上腕及び手指の筋力も相当に回復し、仕事は無理としても、日常生活における動作を自立してする上で特に問題がない状況となっていたこと、現に、原告は、東京女子医大に入通院を繰り返していた同二年九月三日ころには、ディスコで踊ったり、プールバーでビリヤードをしたりして、遊び過ぎて、突然、腕が上がらなくなってしまうような左肩痛や肩から手にかけての痺れを感じて、右病院を受診したりするような生活を送っていたこともあったこと、原告は、その後も同七年六月ころまでは、概して日常生活における動作を自立してする上で特に問題がなかったこと、原告を診断した医者は、同三年一〇月ころ、原告は反抗的かつ懐疑的な性格を有し、医療不信を背景とした身体的愁訴には精神的要因が関与している旨などを指摘していること、入院中の原告の言動を観察した看護婦は、同五年三月ころ、原告に自立心がなく、病気に依存しているため、精神的なフォローが必要である旨などを指摘していること、入院中の原告の言動を観察した看護婦は、同六年三月ころ、原告がリハビリによる患肢の機能回復や社会復帰に対して極めて不熱心であり、患部を使おうという姿勢が見られない旨などを指摘していること、入院中の原告の言動を観察した看護婦は、同年一二月ころ、原告が痛みを訴え続けることで家庭や社会から逃避していると思われ、社会生活から逃避するための心因的問題と考えられる疼痛がある旨などを指摘していること、原告のリハビリ担当者は、同七年五月ころ、原告に対して十分に仕事が出来ると思われると言ったところ、リハビリをする気を無くし、逃げる態度ばかりを示し、心理面での問題が多く、神経症や心身症の疑いもある旨などを指摘していること、以上の諸点に照らせば、原告が医師や看護婦に訴えた症状のうちには原告の特異な性格に起因する症状も多く、原告の機能回復に対する逃避的態度及び社会復帰への自発的意欲の欠如などがあいまって、症状の悪化及び治療の長期化を招いたものと考えられる。
(三) 右の事情に照らせば、本件事故による受傷及びそれに起因して症状固定までの七年間にわたって原告に生じた損害の全部を被告らに負担させることは公平の理念に照らして相当ではない。すなわち、右損害は、本件事故のみによって通常発生する程度と範囲を超えているものということができ、かつ、その損害の拡大について原告の心因的要因が寄与していることが明らかである。
したがって、本件の損害賠償の額を定めるに当たっては、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した原告の右事情をしんしゃくすることができるものというべきである。そして、前記の事実関係の下では、右の心因的要因の寄与度を二割とし、本件事故によって原告に発生した損害のうち、その二割の寄与度減額をするのが相当である。
4 素因減額後の残損害額
そこで、素因減額として、前記四10の損害額合計一億一一〇八万七六五五円からその二割を減額すると、残損害額は八八八七万〇一二四円となる。
六 過失相殺(抗弁2)について
1 過失相殺割合
前記一2に認定説示のとおり、本件事故の発生については、原告及び被告に過失が認められるところ、双方の過失の態様や本件事故の態様など諸般の事情を総合的に考慮すると、本件事故についての原告と被告の過失割合は、四〇対六〇と認めるのが相当である。
2 過失相殺後の残損害額
そこで、過失相殺として、前記五4の素因減額後の残損害八八八七万〇一二四円からその四割を減額すると、残損害額は五三三二万二〇七四円となる。
七 損害の填補
原告が本件事故による損害につき二六三八万二二九三円のてん補を受けた事実は、全当事者間に争いがない。
そこで、前記六2の残損害額五三三二万二〇七四円から右損害の填補額二六三八万二二九三円を控除すると、残損害額は二六九三万九七八一円となる。
八 弁護士費用
本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、二七〇万円とするのが相当である。
九 結論
よって、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自二九六三万九七八一円及びこれに対する本件不法行為の日である平成元年六月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告らに対するその余の各請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 井上繁規)
原告の入通院及び手術状況一覧表〔略〕